Swift2026.11.05
2026年10月、日本銀行の職員が、日銀の決済システムである「日銀ネット」のISO 20022対応等に関する問題を内部通報した後、本採用を拒否されたとして、日本銀行を提訴したことが報じられました。
報道によれば、原告側は、日銀ネットにおける国際送金について、送金の拒否、返金、取消し等に関連する電文への対応に問題がある旨を指摘しています。
もっとも、現時点で確認できるのは原告側による問題提起であり、日銀ネットに国際標準上または制度上の不備が存在することが確定したものではありません。この点については、事実関係と評価を明確に区別する必要があります。
一方、本件は、国際送金に係るセキュリティおよび業務リスク管理を検討する上で、重要な論点を含んでいます。
特に着目すべき点は、Swift顧客セキュリティプログラム(CSP)において、送金に関するリスクがどの範囲まで評価対象とされているかという点です。
なお、日銀ネットにおけるISO 20022対応の適切性は、Swift CSPの評価対象そのものではありません。本稿では、今回の報道を国際送金におけるリスク管理を考える契機として取り上げ、Swift CSP要件2.9が対象とするリスクと、送金プロセス全体として管理すべきリスクとの関係を整理します。
Swift CSPでは、Swift利用環境のセキュリティを確保するため、ネットワーク分離、多要素認証、アクセス管理、システムの堅牢化、脆弱性管理、ログ監視等、複数の技術的統制が求められています。
これらはSwift顧客セキュリティ統制フレームワーク(CSCF)の主要な構成要素です。
しかし、CSCFが対象とする範囲は、Swift環境そのものへの不正アクセス対策に限定されているわけではありません。
その代表的な要求事項が、要件2.9 取引業務統制です。
CSCFでは、要件2.9の統制目的として、送信される取引が通常の業務として想定される範囲内にあることを確認することを求めています。
このため、取引検知、防止、検証等の統制を組み合わせ、異常または不正な取引を検知し、必要に応じて送信を防止または追加確認する仕組みを整備することが求められます。
CSCF要件4.2の多要素認証や要件5.1の論理アクセス制御が、Swift利用環境への不正アクセスや権限の不適切な利用を防止するための統制であるのに対し、要件2.9は、送信取引が通常の業務として想定される範囲内にあることを確保するための業務統制です。
仮に攻撃者が正規利用者の認証情報を窃取し、正規利用者としてSwift環境へのアクセスに成功した場合であっても、その取引内容自体が通常の業務範囲内にあるかを確認することで、不正送金を検知または防止することを目的としています。
この点において、要件2.9は、技術的なサイバーセキュリティ対策と金融機関における業務統制との接点に位置する要求事項であると整理できます。
また、Swiftは、要件2.9に係る統制について、必ずしもSwiftセキュアゾーン内部のみで実装することを前提としておらず、セキュアゾーン外に存在する業務統制を利用することも想定しています。。
このことからも、Swift CSPは、単なるSwiftシステムの技術的安全性確認にとどまらず、不正な取引を防止するための業務統制まで一定の範囲で評価対象としていることが分かります。
要件2.9では、金融機関ごとの通常の取引特性を踏まえた統制が求められます。
例えば、通常の営業時間外に行われる取引、通常想定される金額を超える取引、過去の取引傾向と著しく異なる取引等について、検知、検証または追加承認を行うことが考えられます。
また、取引記録と業務記録との照合を実施することも、不正または異常な取引を発見するための重要な統制となります。
したがって、要件2.9の基本的な考え方は、次の二つの観点から整理できます。
「Swift環境への不正アクセスを防止する」
+
「不正アクセス等によって不正な送金が試みられた場合でも、業務統制によって防止、検知または検証する」
これは、多層防御の考え方に基づくものです。
特に近年では、認証情報窃取や正規アカウントの悪用等により、システムへのアクセスそのものを完全に防止することが困難なケースも想定されます。
そのため、取引内容そのものを業務上の観点から確認する取引業務統制の重要性は高まっています。
一方、CSCF要件2.9が送金取引に係るすべてのリスクを対象としているわけではありません。
CSCF要件2.9は、送信取引が通常の業務として想定される範囲内にあることを確保するため、送信前の防止統制に加え、取引時の異常検知や送信後の照合・検証(事後検証)までを対象としています。
送信取引の妥当性確認(送信前の防止、取引時の検知、および送信後の照合・検証)
しかしながら、要件2.9は自組織における取引妥当性の確保を目的とした統制であり、送信後に問題が判明した取引について、相手方金融機関等と連携して取消し、返金、照会、例外処理を遂行するエンドツーエンドの業務プロセス全体を包括的に規定するものではありません。
国際送金のエンドツーエンドの送金プロセスにおいては、自機関の送信・照合管理の枠組みを超えて、以下のようなリスクや事象が発生します。
これらについては、送信元金融機関のSwift利用環境のみで対応を完結させることは困難です。
国際送金は、送信元金融機関、Swiftネットワーク、中継金融機関、受取金融機関、各国の決済インフラ等、複数の主体およびシステムを介して実行されます。
したがって、送金後の取消し、返金、照会、例外処理等については、より広範なエンドツーエンドリスクとして把握する必要があります。
国際送金分野では、ISO 20022への移行が進められています。
Swiftでは、クロスボーダー決済・報告(CBPR+)を通じてISO 20022電文への移行が進められており、2025年11月には、中核となる送金指図電文について、従来のMT電文とISO 20022電文の併存期間が終了しました。
しかし、国際送金におけるISO 20022対応は、送金指図を新しい電文形式へ移行することだけを意味するものではありません。
現在、重要な対象となっている領域の一つが、送金取消しおよび例外・照会処理(E&I)です。
国際送金では、正常な送金指図を正しく送信することに加え、問題が発生した場合に、次の処理を確実に実行できることが重要となります。
Swiftでは、こうした処理についてもISO 20022電文を利用した標準化を進めています。
例えば、送金取消しではcamt.056およびcamt.029、例外・照会処理ではcamt.110およびcamt.111等を利用した新たな処理体系への移行が計画されています。
この動きは、国際送金におけるリスク管理の対象が、「正しい送金を実行すること」から、「問題が発生した送金を適切に停止、取消し、返金または調査すること」へ拡大していることを示しています。
今回の報道を検討する上では、日本銀行が公開しているISO 20022関連資料も重要です。
日本銀行は、日銀ネットにおいて外国為替円決済等にISO 20022電文を利用しており、国際的な電文ガイドラインとの相互運用性確保を目的とした対応を進めています。
一方、返金処理に使用されるpacs.004については、従来、日銀ネットには導入されていませんでした。
日本銀行の公開資料では、pacs.004を利用しない場合、資金そのものは日銀ネット上で返還し、返金に必要となる取引情報についてはSwift等を利用して別途送信する運用が示されています。
その後、日本銀行は、ISO 20022ワーキンググループ等においてpacs.004の導入について検討を進めています。
日本銀行が2026年3月に公表した資料によれば、通常口および同時決済口の双方を対象に、2028年度中に返金電文(pacs.004)を導入する方針が決定されています。
この経緯を踏まえると、今回の報道のみをもって、「日銀ネットが国際標準に対応していない」と評価することは適切ではありません。
少なくとも、日本銀行自身が返金処理に係る課題および国際的なISO 20022対応の動向を認識し、対応について継続的に検討・決定してきたことは、公開資料から確認できます。
一方で、「国際送金全体のリスク管理として、どの機能を、どの時点までに、どの程度実装することが適切か」という論点は、引き続き検討の対象となります。
金融機関がSwift CSPに基づき毎年評価を実施し、CSCF要件2.9について適切な取引業務統制を実装していたとしても、それのみをもって国際送金に関するすべてのリスクが管理されているとは限りません。
異常または不正な送信取引を検知、防止、検証する。
送信後に問題が判明した取引を停止または取り消す。
実行済みの資金を適切に返還する。
不明または異常な取引について金融機関間で調査、照会する。
これらは相互に関連していますが、対象とするリスクおよび統制の目的は異なります。
また、国際送金は単一の金融機関内部で完結するものではないため、個別金融機関の内部統制のみならず、金融機関間および決済インフラ間の相互運用性も重要となります。
したがって、国際送金に係るリスク管理では、「Swift環境が安全に運用されているか」という観点に加えて、「送金プロセス全体として、異常を防止、検知し、問題発生時に停止、調査、取消し、返金できるか」という観点で確認することが必要です。
この考え方はSwift CSPに限ったものではありません。
PCI DSS、TISAX、ISO/IEC 27001等の第三者評価や認証制度についても、各制度は一定のリスク領域に対して共通のベースラインを提供するものです。
第三者評価には、組織の管理状況を客観的に確認し、一定水準以上のセキュリティ対策を維持するという重要な役割があります。
一方で、評価基準への適合が確認されたことは、組織が直面するすべてのリスクについて対策が完了していることを意味するものではありません。
評価において重要なのは、「どの要求事項に適合しているか」を確認することだけではなく、「その要求事項がどのリスクを対象としているのか」「評価対象外となるリスクは何か」を正しく理解することです。
CSCF要件2.9は、この点を理解する上で分かりやすい事例です。
Swift CSPは、技術的なセキュリティ統制だけでなく、不正または異常な送金を検知する業務統制まで評価対象としています。
しかし、その外側には、送金取消し、返金、例外処理、金融機関間の照会、決済インフラ間の相互運用性といった追加のリスク領域が存在します。
したがって、評価制度を有効に活用するためには、評価対象範囲と評価対象外のリスクを明確にした上で、必要に応じて追加的なリスクアセスメントを実施することが重要です。
こうした考え方は、AI等の新たな技術領域にも共通します。
フロンティアAIのように技術進歩が速い領域では、新たなリスクが認識されてから、業界ガイドライン、標準、監督基準、法制度等へ反映されるまでに一定の時間を要する場合があります。
新たな技術やサービスの登場
↓
リスクの顕在化
↓
インシデントや研究を通じた知見の蓄積
↓
業界ガイドラインの整備
↓
標準化
↓
法規制や監督基準への反映
このため、「規制されていない」「評価基準に要求事項が存在しない」「第三者評価で指摘されていない」という事実のみをもって、当該リスクが存在しない、または対策が不要であると判断することは適切ではありません。
組織には、自社の重要な業務、資産、システムおよび取引プロセスを踏まえ、次の事項を継続的に確認することが求められます。
Swift CSPの評価において、CSCF要件2.9への適合性を確認することは重要です。
同時に、「なぜこの統制が必要なのか」「この統制によってどのリスクを低減できるのか」「この統制の対象外となるリスクは何か」まで理解することで、評価結果をコンプライアンスの確認にとどめず、実効的なリスクマネジメントへつなげることが可能となります。
今回報道された日銀ネットのISO 20022対応を巡る問題については、原告側の主張の妥当性や具体的な技術上・制度上の評価について、今後の事実確認や司法判断を待つ必要があります。
一方で、国際送金の分野では、現在もISO 20022への移行が継続しており、Swiftにおいても送金取消しや例外・照会処理の高度化が進められています。
日本銀行においても、返金電文pacs.004の導入に向けた検討が進められています。
これらの動向は、国際送金に係るリスク管理が固定的なものではなく、技術、業務、国際標準および市場慣行の変化に応じて継続的に見直されていることを示しています。
第三者評価や国際標準への準拠は、リスク管理上の重要な基盤です。
しかし、評価基準への適合のみを最終目的とするのではなく、「当該基準によって確認できるリスクはどこまでか」「その評価範囲の外側に、重要なリスクが残存していないか」を継続的に確認することが重要です。
変化の速い技術環境および事業環境の下では、評価基準を適切に適用することに加え、その適用範囲と限界を理解し、自社固有のリスクに対して必要な対策を講じることが、実効性のあるリスク管理につながります。
<参考・引用文献>
※URLは2026年10月10日時点で確認したものです。
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日本(内資)企業初の CSP assessment provider に認定された監査機関として、これまで培ったノウハウを活かし、国内および海外の事業体様に向けて、SWIFT CSCF 準拠を支援します。